陽はまた昇り、そして核心はいつもそばにある
2019年もいよいよ終わりが見えてきて、帰りの電車が心なしか満員電車になり、年の瀬とはかくもこうあるものだ的な得もいわぬ風情がだんだん好きになれなくなってきたこの頃。時代という言葉で片づけていいのやら。
一方で、どんな仕事も始まりや終わりなど、節目節目はきちんとしていた方がたとえ同じことをしたとしても、その濃度と品質は違うと思っている。
ではその濃度や品質というやや曖昧で抽象的なものの正体は一体なんなのかとふと思うと、一つ一つの仕事や行いの精度と、それを見る視点そして、他者からの評価なのでは?と。
限られた時間の中で進んでいく日常は、ある一定の基準で区分けされ、高いか安いか、上手いか下手か、キレイか汚いかなどの判断が付き纏う。
つまるところ物事の本質とは、目の前の物事の精度とそこにかかる熱量に少しの感性が加わること。そしてそれは日常の意識でしか高まっていかないこと。
陽はまた昇り繰り返されていく日常がより良いものになり、日々の生活の品質が向上するということは意識であり、熱量であり、感性。
歯磨き一つ、食事ひとつとってもその意識が変わると精度が上がり、結果"質"が変わるというお話。
本質とはいつも自分のすぐそばにあり、どこを目指すのかがとても大切なんだと実感する年の瀬ですね。
ありがたい日々に感謝^_^
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